建物は未来永劫続くものではない。大正、昭和初期に建てられた近代建築も次々と壊されているし、また取り壊し計画も着実に進んでいる。だが、大切なのは建物そのものよりも〈建築のコンセプト〉と〈ポリシー〉だ。優れた建築物は消滅しても、その思想性は残る!
建物の歴史は人々の思いの蓄積でもある。そこには人の数だけドラマが生まれ、想いが重なり、想いが込められた歴史となる。そこにはきっと、忘れかけはじめた、いとおしい歴史が折り重なりあって息づいているはずだ。
まちは幾重もの地層が折り重なり、形成される。それはあたかもパソコンのグラフィックソフトのレイアーのようにである。とはいえ、現実のまちはレイアーのように一律に覆い被さり、新たな時代が生まれ、過去が歴史となるのではない。ところどころまだらな個所が生まれる。
その新品に覆い被さられないエリアには取り残された昭和があり、大正があり、人びとの交流がかいまみられる。
センチメンタルな懐古趣味? たしかに、古いものは安心感を与えてくれる。だが、古さや安心感、懐古趣味だから魅力があるわけではない。
堅牢に生き続け、「力強い生命力がある」から魅力的なのだ――と考える。まち歩きには、力強い引きがある。
建物をとおして人びとふれあうなかで、私たちが失いかけている大切なものを発見できるかも知れない。
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