まちに住む人々13―住んでみたい町・麻布十番

 『自転車で 東京建築さんぽ』という単行本の取材をしていたときの話。
 生まれてはじめて、三田から麻布十番というところを訪ねた。というのは、ボクは柴又生まれ。80代の父親にとっての叔父さんが中目黒に住んでいた、というのが一番遠方の親戚である。早稲田の叔父さんがその次。ボクにとっての叔父さんではなく父親にとっての叔父さんだ。
 もちろん、三田の慶応にいったことはあるが、それはあくまで慶応の校舎内まで。その裏まで足を運んだことはない。
 慶応を訪ねたのは田町駅からなのだが、取材の際には北側の芝公園側から三田に入った。すると、そこは別世界。三井の総本山であった。ルネサンスとバロックが採り混ぜられた、目を見張るようなおとぎの国を思わせる華麗な三井倶楽部。もちろん、その先には慶応大学だ。三井倶楽部の裏に慶応があるのか慶応の裏に三井倶楽部があるのかわからないが。
 三井倶楽部の先はモダンなイメージのオーストラリア大使館――と異世界をさまよう。
 これらが高台。ここから、ある建物を探しに台地を下りた。あらかじめ地図で目当てを付けてきたのだが、サッパリ分からない。先ほど通った道をまた再び通る。そりゃ何度通ったって、同じところじゃわかりゃしない。
 どこもビル街。人影もない。そんなところに、八百屋があった。生憎、店には誰も出ていない。思い切って、奥に声を掛けてみた。「すみませーん!」ちょっと、われながら悲壮感が漂った声だ。飲み物もなくなり、脱水症状気味。
 奥から、お姉さんが出てくる。「いらっしゃいませ~」ではない。やはり、客の掛ける声には聞こえなかったのだろう。
 このお姉さん、ボクの話を根気強く聞いてくれ(ここに至るまでに官憲にも道を尋ねている。その官憲、地方から駆り出されて来たらしく、地図を持ち出し、ちょっぴり訛りながらも懇切丁寧に教えてくれたのだが、事実ボクの方がまだ地理的状況が分かっていた)、実に親切の応対してくれた。
 と同時に、「ちょっと待ってください。古い話だと……」と電話をしたり、通行人を呼び止めたり(ご近所の知り合いのようだ)して、合同検討。えぇ! このわが国を代表するような建築群のなかで、皆がよって建物探しを手伝ってくれる?
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 山手と下町というのは、エリアではなく、どこのまちにも存在する。まちにはオシャレなよそ行きの顔をした山手としての面と本音と情緒の下町的な面を兼ね備えているものだが、この台地の下の麻布十番の人情には感動させられた。いままで、まったく興味のないまちであったが、ボクにとって住んでみたい町No.1となった。都会への憧れと情緒。これらを満たしてくれるまちはないのではなかろうか。すっかり、惚れきってしまったのだった。(I.K.)